Traveling alone in Europe

 ヨーロッパ3週間の「旅」にでた。もうすぐ死にますからちょっと行ってきますシリーズ第7回

これが人生 ラスト・1マイルの旅になるのか。  

昨年 プロ級の Back Packer NB さん からヨーロッパへ42日間行く計画だと聞いた。

ヨーロッパなら俺も行こうとロンドン往復76,000円の中国東方航空のチケットを手に入れた。

8ケ月以上先の話で、まだキャンセルも可能でプランも何もなかったが頭の中の空想は、

ロンドン、オランダ、ベルギ-、フィンランド、ロシア、ドイツ、クロラチアスペイン、モロッコ などが駆け回った。 

旅行前に打ち合わせを始めたが、果たして自分には6週間 Back packer

としての体力があるのかと云う考えがありいつも行く内科医に聞きに行った。

 

内科医曰く、無理だ。普通の旅行なら常備薬を出しDoctor's letter も書いて上げるから行きなさい。

 

結局プロ級のヨーロッパ Back Packer ツアーを頭に描いているNB さん の足を引っ張る事に

もなるので急遽対応策を考えた。ロンドンはNBさんと滞在し、

その後は一人で3週間自分の好きな音楽に絡んだ旅をしようと考えた。         

 

 

London 到着

 

Abercorn House Hostel

Hammersmith 駅近くの清潔、

機能的なホテルだった。 

       (1) National Museum 前                           (2) ロンドン 地下鉄                     (3) ロンドン・ブリッジ

 

現在は日本のスイカと同じエスカルゴと云うカードがあり、バスにも乗れ、使い勝手が良かった。

 

London Bridge is broken down 橋を見に行った。 

庄内川、新川中橋と余り変わらなかった。

なんだ、これは、と云う感じだった。

 

3泊目から別な Holland Park Hotelにした。

朝食付ではあるがやや民宿風な宿だった。

Holland Park 西端にあり、

Hammersmith 駅からも近くLocation  は文句無かった。

 

 

 

 

 

大英博物館

 

 興味のあるエジプト館に2日通った。

 

 

ロゼッタ・ストーン

 

日本語イヤホーン・ガイドで
その素晴らしさの案内があり感心した。

Hamersmith 駅前にある。「WAGAMAMA」店のラーメン。

美味しかった。

 

大英博物館の近くのPabCafé?で休憩。

感じの良いヨーロッパらしい雰囲気の店で、 食事も飲むことも出来る店だった。  

 NB san が飲んだビール これは「うまい!」言うので、一口飲んでみた。

確かにコクが  ありうまかった。

金を支払い後で請求書を見たら、「Asahi と書いてあった。

ロンドン・ミュージカル ノベロ劇場前マンマミーア」を見た。

何で今更ABBAか、とも思ったが、迫力があり、

楽しかった。さすがに本場物だ。

 

ハイド パークの横の グリーン・パークで休憩。

ツアー観光ではこんな事は やってられない。

 しばらく昼寝も出来た。

 

ウイーン 到着

日本で打ち合わせ済みではあるが、ロンドンでBack Packer NB san と別れ、

それぞれ  別な行先を目指した。

彼はオランダへフェリーで渡る予定。

地下鉄駅でお互い GoodLuck !” と言って別れた。

これが一人旅の始まりだった。

そのままヒースロー空港へ 地下鉄で向かい British Air機でウイーンへ

 

ここからが日本と違う交通システムの始まりだった。

地下鉄トラム、バス 皆同じだった。

   まず、改札口が無い。改札窓口も無い。

   電車も 勝手に乗り降りできるが乗る時、

   降りるときは ドアを自分で開けなければならない。

   ドアの前に立っていても開かない。

   切符は販売機で買えるが 

   駅の柱に取り付けてある刻印器に切符を差し込み

   スタンプをしてはじめて有効になるのだ。

     ウイーン・ドレスデン・ベルリンでも毎日地下鉄トラムに乗ったが一度も買った切符を人に見せなかった。

     へんてこな交通システムだった。自転車も OKだった。

 

     空港到着後 City Airport Train に乗り市中に 向かった。    

n Parkring Hotel 12 階。

窓からの ウイーンの眺望が良く素敵な眺めだった。  
朝と夜は 景色、景観、雰囲気も替わった。

夜12:00に 劇場からホテルまで  2回歩いて帰った。 
夜道は映画「第三の男」に出てくる様な 雰囲気であった。 

 

ヨーロッパの一番東に位置したウイーンは  落ち着いた綺麗な街で、ハプスブルグ家  

の面影が一番残っている街だそうだ。

ウイーン国立オペラ劇場

 念願のウイーン国立オペラ座 に出掛けた。  演目は「 ホフマン物語 」

日本でチケット買う時 Internet で座席表 を呼び出した。

満席だった。
ただ一つ、1階席、前から5列目、中央が
点滅していた。

即座にキーを叩いて購入した。 

中央、前列席程 服装に気を遣うなんて Internet には書いてあり、

ここは 紳士・淑女の世界と言う事で、 日本から重い荷物になったが 

服、靴まで 持って来ていたので、一応服装を整え出掛けた。

確かに周りはフォーマルな格好の人が多かったが、全部では無かった

 

演目の「ホフマン物語」これは面白かった。

    詩人ホフマンが恋した3人の個性的な女性 

     ヒロイン機械人形、 娼婦、清純な歌手

  有名なオランピアの歌(機械人形の歌)

  娼婦 ジュリエッタ(ホフマンの舟歌)

  アントニ-ア (清純な歌手)


兎に角メロデイーがきれいで、
楽しく深刻なものがなく、

それでいて人を感動させる。

ホフマン物語」は人気が高いオペラらしく、すぐ満席になるようだ。

本場で観ることが出来、 これは最高に素敵だった。

 

映画「 第三の男 」に出て来る、ウイーンの大観覧車に乗った。

オーソン・ウエルズの気分だった。

ラスト・シーンでジョセフ・コットンの 前をアリダ・バリが 無言で通り過ぎる

一番印象的なシーンの公園があった。

 

 

帰りついでに ザッハ・トルテを食べた。

 閉店した有名な天満屋、

ヨーロッパ旅行の場合、

頭を痛めるのがいつも 食事である。 

今回のウイーンでは、日本を出る 前から、

オペラ座の前にある「天満屋」で食事を しようと

決めていた。

だが、店の前の閉店の張り紙を見て驚いた。

窓に「長年ご愛顧賜りまして・・・」と

挨拶文が 書いてあった。

     思い出してホテル近くのKYOTOと書いた

     レストランに入った。 看板は日本料理だが、

     オーナーは韓国人だった。

     メニューには、寿司、どんぶり、 ベントウも載っていた。

     まず海鮮ラーメンを注文。前菜小皿が3品出てきた。

 

    「キムチ」、「ナムル」、「沢庵の様なキムチ」。

    続いて海鮮ラーメンが出てきた。 ムール貝や エビ、

    野菜が入っており、結構美味かったが、

    麺は インスタントを戻したもので、カップラーメンを 食べた感じがした。

 

クリムトの展示美術館を見に行った。帰りに カフエ・モーツアルトでウインナーコーヒー、

ケーキを食べた。さすが220年の伝統、美味しかった、 最高だった。

 

 

歩いている途中、

すぐ横を大きな車が通り過ぎて止まった。

男が二人降りてきて止めてある乗用車の下

に二本の鉄棒を入れ、クレーンであっという間に車を荷台に

積み込んで行ってしまった。

その間、4-5分程、後続の数台の車は、

みな仕方がない、と言う顔で待っていた。駐車違反の文句なしの撤去作業だった。

 通行人も通れないので待っていたが、係官は 

      「すみません」も何も言わず平然と仕事をし

      黙って行ってしまった。驚いた。昔の共産圏の名残なのか。

        フォルクス・オーパ劇場内           休憩             フオルクス・オーパ劇場

 

 フォルクス・オーパ劇場出掛けた。演目はフランツ・レハール の
  「メリーウイドウ」。
「Uバーン」3路線乗り継いで駅から歩いて劇場へ。 

 

「メリーウイドウ」 沢山の名曲があり、

ヒットラーもこのレハールが大好きだったそうで 文句なしに本当に面白い。

それを本場で観て、圧倒され、大変印象深い ものになった。

 

 

 

 

ドレスデン 到着 ( 中央駅 )

 

ウイーン → ドレスデン 8時間列車の 旅

ウイーンに後ろ髪をひかれながら、

飛行機を止め、ドイツ  ドレスデンまで8時間の列車の旅をした。

1等 コンパートメント内には、偶然 日本人の 65歳前後の夫婦と

日本人女性1人、オーストラリア 人女性1人、と一緒だった。

お蔭で楽しい列車の旅と なった。

日本人のご夫妻は昨日 「ホフマン物語」 を観てきました、と話され、

盛り上がった。
若い日本人女性は、プラハへ行きますと、途中で降りた。

①Hotel Artmark                          

②ドレスデン 街中      

③マイセン磁器タイル 君主の行列

                                    

 

 

ゼンパー・オーパー 劇場 (ドレスデン)

ドレスデンは ドイツ東部にある、ドイツ一番の 観光地。 

ザクセン王国の都であった都市で、

マイセン製磁器 タイル 25,000枚の壁画「君主の行列」が 見られる。
ゼンパー・オーパ歌劇場も有名だが、
今回 マイセン窯まで足を伸ばし、

磁器工場 Museum を訪ねる事と、ゼンパー・オーパ劇場へ

行くのが目的で、ベルリンへの途中に立ち寄った。

ドレスデン街中で昼飯を食べた。ソーセージ店は どこにでもあり、 

パンの種類も多く、スープも 売っている。

きれいなソーセージ店に入った。

店の中に5ケ所、 店の外に3カ所、 の立ち食いテーブルが有った。 

 

皆 薄いパンとソーセージを 立ったままで食べており、

それで昼飯は終わりの様だった。 

テーブルの間に小さなドラム缶が置いてありレバーを 押すと、 

マスタードが出てくる。 それをソーセージにたっぷりつけて

 食べていた。

 

日本の立ち食い寿司などは座って食べるが、 ここは完全に立ったままだった。 

日本人の様に忙しいのかなあ。

    

 

 

 

ドレスデン中央駅からSバーンに

乗ってマイセンへ出かけた。

快適な2階建て電車で 40分程の距離だった

①マイセンMuseum              ②マイセン駅から徒歩10分、            ③マイセンMuseum 館内

 

マイセン 展示品

テーブル・ウエアーから、装飾品まで、無数の白磁の美術品が展示されており見応えがあった。

ザクセン候が 抱え込んだ 白磁はまさに当時の至宝だったのだろう。

各国からの観光客も多く、特に日本人観光客が多かった。

 

お土産にせめて1品何かを買おうと思ったが高くて手が 出なかった。

それに持って帰るのにまた重量が増える懸念 もあった。

①マイセン 窯内   ロゴ プレート 料理

 

 丁度 お昼になり マイセン館内で八ヶ岳高原ロッジを 思わせる

大変雰囲気の良いレストランでマイセンロゴ プレートの昼食を食べた。美味しかった。

 

ゼンパーオーパ歌劇場へ出かけた。

演目は モーツアルトの「 コ・シ・ファン・トッテ 」 

行きはトラムに乗り出かけ電車の中で切符を買おう としたら、アメリカ人の観光客4,5人が

切符販売機の前で 操作をあれこれ迷いながらやっており、2つ目の降りる駅まで 来てしまったので

そのまま降りた。無賃乗車だった。日本ならまず出来ない事だ。

 

ドレスデンにも至る所にSUSHIバーがある。やはり日本食ブームなのか。

ヨーロッパ3週間の間、寿司は絶対手を出さなかった。

何処の魚か分からないし万一腹でも壊したらダメだと考えた。

 

ドレスデンからベルリンへ 列車で2時間。ベルリン 到着。

 

ベルリン中央駅から、ベルリン・ミッテにあるBoutique Hotel i31ホテルに到着。

成程、Boutique な受付だった。

でも6階建ての ドイツらしい清潔 な良いホテルだった。流石ベルリンだけあって、

客層もピチット とした、Business man, Business Woman の世界だった

 

念願の ベルリン・フイル劇場 へ出掛けた。

 

ホテルを出て、ベルリン・フィル劇場 の近くで食事をする 予定で、場所探し、

迷う時間を含め3時間みた。


Postsdam
に ベルリン・フィルが有ると書いてあるので、

Postsdam.Hbt までCゾーンのキップを買いUバーン S-1 に乗り込んだ。

 

これが失敗の始まりだった。1時間過ぎ駅に到着。

誰に聞いてもベルリン・フィルなんてここには無い、と言う。

 

Uバーン案内所に行き、間違いに気付いた。

案内の太った中年おばさんがinternetで調べてくれ、Postdan.Platzへ行きなさい。

下のホームに今電車が止まっているから、飛び乗れば 間に合うU6ホームへすぐ行きなさい。

ドアの外に出てきて指さしあのU6ホームだよ、間違えるな と親切に教えてくれた。

それでこの電車に飛び乗り、1時間後、何とか開演に 間に合った。


間一髪だった。開演は夜8:00時、晩飯は食べそこねた。
  

演目は リヒヤルト・シュトラウス

 

ドン・ファン、ドン・ジョバンニ、薔薇の騎士

指揮 ロリーン・マゼール

 

前から3列目、17番席は中央、指揮者のすぐ後ろだった。

テレビではよく見る席では有ったが、こんな所に自分が、 座っているとは想像した事もなっかた。

 
ロリーン・マゼールもすぐ触れられる程の所に居り
舞台の四方に観客席があり音響効果は抜群に良い。

ベルリン・フィルのそれぞれの奏者の信じられないくらいの上手さ、楽団のハーモニーと音楽性の

高さが感じられ、とても素晴らしいものだった。

 

サー・サイモン・ラトルも一度見たかったが、

ロリーン・マゼールも凄かった。本当に来て良かった。   

ベルリンブランデンブルグ門と、Check Point Cherlie.立寄った。

バッハの曲を思い出す名門 ブランデンブルグ、今はベルリン の象徴だそうだ。

東西分裂のベルリンの関門の一つ Check Point Cherlie には

ベルリンの壁崩壊までの記録写真が展示されており、

記念品に[ベルリンの壁] の実物(実際は数mg)

お土産を買った。

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ベルリン→フランクフルト→アブダビ(ドバイ)→

北京→ 中部国際空港を経て、計画通り、

 

ノン・トラブルで 無事帰国できた。考えてみれば、悠長で、優雅な旅でもあった。 

 

旅の総括:

 

楽観主義、自立心、愛情、と言った個人的資質は

幸せに生きる為に誰にでも必要だが、

今回思ったのは、一度しか無い人生、

何かをやりたいと思った時、 その時、が“ 旬 ” 

なのだと云う事だった。

 

とても楽しく、素晴らしい時間が持てた。  

これが人生ラスト1マイルだったとは思えない。

まだ 20マイルは

有ると思うので、またどこかへ行こう。